LGBTがあるなら発達障害の「脳の多様性」もあるべき/自閉症スペクトラムとは何か・千住淳

脳外科医のイラスト

 

 

障害をわかりやすく説明する難しさ

サトエリです。
発達障害について聞かれる場面が増えましていつもこう答えています。

・脳の特性であり、その振り幅が大きい状態
・個性の範囲を超えて本人が意図しない環境で出てしまう状態
・さらに求められたらアスペルガーとADHDの説明もする

 

でも上の説明では不十分だと思いました。
なぜなら聞き手は「そもそも個性が障害になるときがあるのか?」って表情をするから。

たしかに脳の特性や心の動きは個性だけど、それが「障害」になるときは個人と社会との関係性によって決まっているからです。

サブタイトルにも「関わり方の謎」とあるように、発達障害を理解する上で国の文化や歴史というフィルターを通さないと進まない。


もしかしたら日本人の習性に合わせた説明をしたらうれしい誤算が起きて、日本の問題点を溶かせるフックになるかもしれないんです。

著書は基礎研究をかみ砕いて書かれていて大変読み応えがあります。
ちょうど一般書と専門書の間。発達障害のややこしさは似たような名称が多い、診断の基準がわからないなど踏み込んで調べようにも少し面倒ですよね。

しかし障害の概念、診断基準、研究段階のもの・障害は個性なのか?など、はじめて知った人が必ず出る疑問を解説。
説明に困ったら読んで使ってみましょう。 

 

自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)

自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)

 

 

 

LGBTがあるなら「脳の多様性」もあるべき

 

SNSで発達障害に対しての意見がよく流れてくるんです。その中で気になったのは

「発達障害のような特徴があるけど自分で環境を変えてきた。
だから障害とは思ったことがない。個性なんだから気にしなくても良いんじゃないのか?」

 

と、ざっくりこんな感じであって非常にもやもやしていました。

この「個性なんだから気にするな」は悩んでいる人にとって問題をなかったことにするニュアンスを感じ取ってしまう。

たぶんこの方は苦手を避けるためにお金と時間をかけて合う環境を作ってきたんでしょう。

しかし、社会生活と求められるハードルが高いが故にしんどくなっている人がいるのも事実なんですよね。

そこで著者は障害を抱える人に対する支援や治療、乗り越える訓練だけでなく「社会がハードルの位置を変える」方法を提案しています。
少々長いけど大事な部分。(読みやすいように修正)

 

歴史の中で「社会」を変えることで「障害」を乗り越えた例はいくつもあって、人種差別を法律で撤廃したら人種という「個性」が、社会参加を阻む「障害」として考えられなくなってきました。

発達障害も同じように自閉症は「治療の対象」ではなく、「脳の多様性」であると主張がなされています。

人種や性別によって差別されることがあってはならないのと同じように、「脳の多様性」を認めない社会は問題であり、さまざまな脳の動きを持った人が、公平に参加できる社会を目指すべきだ、という議論です。

社会の側から「障害」を取り除く努力は、「障害」をうけて社会参加を阻まれている方々だけではなく、社会全体にとっても重要な問題です。

発達障害を「保護すべき対象」として捉えている限り、彼ら、彼女らの才能が社会で活かされることは困難です。P29

 

この文章を読んで「乙武さんが障害者と呼ばれなくなる日は来るのか?」と考え込んでしまいました。
怖いのは何を障害とするか、誰を排除するか、どこまでを障害とするかって人間が決められてしまうんだよね。

世界には手足がある人が不自由しない場所があるかもしれない、逆に何もハンデがない人が「今日からお前、障害者」と言われるかもしれない。

当人と周りがコミュニケーションを取るためのつなぎの言葉が見つからないからこそ、間に「障害者」って言葉を入れて人間関係を回しているんでしょうか。

 

 

 

国の文化によって診断基準の具体例がちがう


冒頭でもお伝えした文化のフィルターを通して伝えるについて。
社会の理解だけではなく、もっと重要なのは個人が「医療や教育を受けることができるかどうか」です。

自閉症がどう現れるのか、具体的にどのような診断基準を使えば自閉症とうまく診断できるのかについては、文化によって少しずつ異なる可能性がある。

また、自閉症に見られがちな行動の特徴のうち、どれが「許容される」範囲の行動であり、どれが社会参加への「障害」となる行動であるかも文化圏によって違うと筆者は言います。

インド、アメリカ、イギリス、韓国、日本の例を出していて、各国の具体例が「まさかそこくるか?!」と唸るほど。全部は書き切れないので日本のだけを。


日本など東アジア文化圏では、「相手も気持ちや場の状況を把握することの困難さ」が、またものごとを全体的に捉える傾向、文脈を重視する傾向が見られます。

このような物事のとらえ方の文化的な違いは、理解や記憶したりする心の働き方の発達に影響を与えるみたいです。

 

 

 

社会に残る伝統は当人とその家族の「生きにくさ」に影響


日本って家族でなんとかする、もしくは何かあったらまず家族を頼れって風潮を感じます。しかし、当人と身内だけでなんとかするには事前に良好な家族関係を築いていく必要があります。

たとえ頼り合う土台はあったとしても他人に頼らず家族にしわよせがいくのは、それこそ「保護される対象」に押しやられてしまったままになります。

 

文化や人間の特性の違いから発達障害の理解を進めることで、それを妨げる文化を徐々に溶かせるのではないか?が持論です。

常識や伝統は「許容範囲」として、障害とは一生続くものではなく「濃淡の問題」
としたら、永遠に解決できそうな問題かもしれません。

 

それでは続きはこちらの本で。

 

自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)

 

 

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