正論とは良識と経験からきたマイルール
GWも終わりましたが新卒で入社した方は初めての長期休みでしたね。
4月から1か月、研修中に理不尽な発言をされたり、
偉いように見える先輩が実はそうでもなかった経験もしたことでしょう。
新卒の皆さんは坂上忍さんてご存知?
テレビで見ると性格がきつくて、そばにいると嫌な予感しかしない印象ありません?
でも週刊新潮のコラム「スジ論」を読んでそのイメージは変わっちゃいました。
本来の正論とは自分の強さを誇示させるためにもっともらしい言葉を盾にする行為ではなく、良識や経験則から来たマイルールではないのでしょうか。
だから正論はいざというときに言うからこそ効果バツグンなんです。
日常で小出しするものではないんですよ。
たいてい誰かが何かに逃げているときにズバッと言う行為なので、
相手の心を粉砕するパワーがあるじゃないですか。
正論まがいの説得力のない自論をこねくりまわすだけならだの説教。
経験というフィルターを通して発言してない人は教科書みたいでつまらない。
ホント、言葉遊びを知らないやつだなって軽蔑する。
だからこそ坂上さんの深い経験則って説得力があるんです。
それでは新入社員や若手社会人が陥りがちなミスを坂上さんの言葉をご紹介。
その言葉は自分の脳を通したか
情報番組で日本に在住している外国人のみなさんの様々な苦労を特集していた。~中略~
VTRが終わってスタジオに戻ると若い女性アナウンサーが「このようにして、日本に住む外国人は…」云々と喋り出す。
それを受けて、ベテランの男性アナウンサーが「外国の方々も…」云々と続けた。
気づきますかね?このわずかですが最も大事な違い。
何も考えていないとすぐバレる
おそらく原稿には「外国人」と書いてあったのでしょう。
ですから、間違いではないわけです。スタッフさんが書いた原稿をそのまま読んだわけですから。
でも、時にこの「そのまま」が弊害を生む場合もあると言いますか、視聴者には「上から目線」の印象を与えてしまうと言いますか、
「お前、なんも考えねぇでいわれたことやってるだけだろ」と、
見透かされてしまう。
若かろうが年寄りだろうが、新人だろうがベテランだろうが、
自分の口から発せられた音は、言語は、少なからず自身の思考の下に
生み出された言葉ととらえられて致し方ないわけです。
~中略~
メディアに露出する側の最終的な面白味は、たとえわずかでもいいから自分自身を出せたとき。与えられた台詞でも、キチンと咀嚼して自分の言葉に置き換えられたときなわけです。
とはいえ、大切なのはそこに気づくか気づかないか。
気づけばね、直しゃいいだけなんですから。
そうすれば、世間知らずや若気の無責任さが生んだ失敗も、
あとにチャラにできるわけです。
本書でダントツのスジ論でした。
上司に質問をしたり、プレゼンをするうえで言葉の組み換えひとつ間違うと
悪意はないのに相手を傷つけてしまう。
でもそれはしょうがない。
ただ、偉い人って部下からいい質問やプレゼンをされるより考えた跡が見えた方がうんと評価を上げようって思うんじゃないでしょうか?
「今、部下が話すその言葉はあのときよりもどんな風に変わったんだろう」と。
上司も友達もFacebookの友達も同じで、本人を断片的に見ている人とちゃんと今までの軌跡を見てくれる人の2通りに分かれます。
もし後者が会社にいるならその上司を信じていいのです。
スジのある人間の言う事は聞いておく
言葉を考えて発言しろ!は私が色々なアルバイト先で言われたもののひとつなので、
深く刻んでおきました。
オトナになって「この人の言動なら聞いていいかな」って人に出会えたんですよ。
言う事を聞いておこうと思える人の正論は「受け入れない限り自分を変えられない」という真実味が増すもの。
あなたの周りの人はその正論にどれだけ身が詰まった経験があると思うか?
って考えながら聞くことをおすすめします。
経験にのっとっていない上ずべりした言葉を誰が聞くか。
最後に、言う事を聞きたくなる上司不在の会社には坂上忍を派遣せよ。
ぜひ読んでみてください。