たとえ個性が薄くてもあらがうな
私はネットでのキャラの薄さがちょっと悩み。
プライベートでは小学校のときから「キャラが濃い」「アクが強い」
と言われてきました。
幸いそれらを糧にして辛いときでも生きてこれたけど、
ネットの世界でブログを書くとやっぱり突き抜けてない感じ、
キャラがまだ出し切っていない感がある。
それが影響してかプライベートでもなんか不発です。
ブログを書くってことは「生産者」として発信することでも
あるから印象付けるものがないと読まれにくくなりますよね。
既視感があっても実行する意味
そんで、ネットでは自分をキャラ化させよとか人と同じことやってもつまらないって
言う人がいるけど、
自分が学生時代に個性的で独特な人間であろうと躍起になっていた
こそ、言い分はよくわかる。
どっかで無理してひずみが起きるからね。
でも今は個性的であろうとする姿勢にはあんまり共感できない。
なぜなら同じことやっても人によって見える景色が違うじゃん?
自分が見たい景色をハッキリさせるためにもありきたりであろうがやる
最近、わたしはひとりでイベントを主催しました。
少人数制でお客さん3人来てくれた。
内容はありきたりかもしれないけどどうしてもやりたくてさ。
イベントやり慣れてる人なら3人ってめっちゃ少ないですよね。
でも少ないぞ!どうしよう!とは思わな方んですよ。
むしろ、「
この状況が嫌なら次からは別の方法を考えればいいし、
仮に自分のやりたいことが他者とかぶっていても自分の方がイケて
と思えたならやる。他人の実力は気にしない。
既視感あるからこそ小さい変化に注目したい
毎日Twitterやfacebookでいろんな人が一日中、
vcで資金調
既視感ありありだよね。
これからもっと議論される分野なのにもう
個人がメディアとして発信できる時代は短期間で似たような情報を
時代の移り変わりが早いんじゃなくて個人がそのコンテンツを深く
見たそばから忘れているだけ。
個性の精度を高めるのはおおいに結構だけど、
いくらネタがないからってこの分野はこれが来るだろうと特に興味もないくせに
乗っかるのは好きではありません。
私はもう発達障害というメジャーになってきた分野と向き合ってますが、
わからないところも多くて学びがいがある。
なんつーか、「既視感があるからダメ」とか言ってるアラフォーのおっさんって
今自分が関わっている分野にブームが来ないとでも思ってるんですかね?
ニッチな分野で頑張ってるんだろうけどつまりお金稼げてないから
稼げてる若手を見て悔しいんでしょう。
既視感があるイベントでも主催者がどこを目指して、どんな景色が
見たくて、何のメッセージを伝えたいかを想像しながら参加すれば
他のイベントとの違いが小さくてもわかっておもしろいんですよね。